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セキュリティの部屋

【詳細解説】国家サイバー統括室(NCO)と創設が想定される「国家情報局(仮称)」に関する包括的分析報告書(2025-2026)

国家安全保障構造の戦略的転換:国家サイバー統括室(NCO)と創設が想定される「国家情報局(仮称)」に関する包括的分析報告書(2025-2026)

2026年1月13日 生成AIにより原案作成 2026年1月14日 東京都 校正・編集

エグゼクティブサマリー

2025年度から2026年度にかけての期間は、日本の国家安全保障政策、とりわけサイバーセキュリティおよびインテリジェンス(諜報)分野における歴史的な分水嶺として記憶されることになるでしょう。東アジアにおける地政学的緊張の激化、国家支援型サイバー攻撃集団(APT)による重要インフラへの脅威増大、そして現代戦におけるハイブリッド戦争の常態化を受け、日本政府は戦後の「専守防衛」の解釈をデジタル領域において抜本的に再定義するに至りました。本報告書は、これらの背景の下で新設された「国家サイバー統括室(National Cyber Office: NCO)」および、現在構想が進められている「国家情報局(National Intelligence Agency)」への改組計画について、その役割、組織体制、法的権限、社会経済への深層的影響、そして国際的な比較優位性と課題を、公開情報を基に可能な限り詳細に分析・解説するものです。

本報告書の分析における核心は、2025年5月に成立し、同年7月より運用が開始された「能動的サイバー防御(Active Cyber Defense: ACD)」ドクトリンの法制化と実働化にあります。これは、従来の「防御・復旧」を中心とした受動的姿勢から、攻撃の予兆を検知し、未然に無害化する能動的姿勢への転換を意味します。この転換を指揮する司令塔として、内閣サイバーセキュリティセンター(NISC)を発展的に解消する形でNCOが設置されました。NCOは単なる調整機関ではなく、内閣総理大臣直轄の強力な指揮権限を持つ組織として設計されています。

同時に、サイバー防衛の実効性を担保するためには、高精度なアトリビューション(攻撃者の特定)能力が不可欠であり、これが現在進行中の内閣情報調査室(CIRO)の機能強化および「国家情報局」への昇格議論へと直結しています。特に、経済安全保障推進法に基づくセキュリティ・クリアランス(適性評価)制度の本格導入は、官民の人材流動性を高めると同時に、同盟国(特にファイブ・アイズ諸国)との情報共有の質を飛躍的に向上させる触媒としての役割を果たしています。

本稿では、これらの改革が日本の社会構造、特に通信の秘密やプライバシー権といった憲法上の権利、およびサプライチェーンの末端を担う中小企業(SME)に与える不可逆的な影響についても詳細に論じます。政府が推進する「DX with Cybersecurity」は、産業界全体の強靭化を目指す一方で、高度なセキュリティ要件を満たせない企業の市場退出(セキュリティ・ディバイド)を招くリスクも内包しています。

以上の観点から、本報告書は単なる制度解説に留まらず、日本が直面する第5の戦場(サイバー空間)における国家戦略の全貌と、その遂行に伴う課題を浮き彫りにすることを目的とします。


第1部:戦略的転換の背景と地政学的必然性

1.1 「受動的防御」モデルの限界と崩壊

長きにわたり、日本のサイバーセキュリティ戦略は「受動的防御(Passive Defense)」を基調としてきました。これは、ファイアウォールやアンチウイルスソフトによって境界防御を固め、侵入された場合には事後的な復旧と再発防止に努めるというアプローチです。このモデルは、攻撃者が散発的な犯罪者やハッカー集団であった時代には一定の有効性を持ちましたが、2010年代後半以降の脅威環境の変化により、その限界が露呈しました。

1.1.1 脅威主体の変質:国家支援型APTの台頭

現代のサイバー脅威の主役は、国家の軍事機関や情報機関の支援を受けた高度な持続的標的型攻撃(Advanced Persistent Threat: APT)グループです。具体的には、中国を背景とする「MirrorFace(ミラーフェイス)」や「Volt Typhoon」、北朝鮮に関連する「Lazarus(ラザルス)」、ロシアの「Sandworm」などが挙げられます 1。これらの攻撃者は、単なるデータの窃取や破壊を目的とするだけでなく、平時から日本の電力、通信、交通、金融といった重要インフラ(Critical Infrastructure: CI)の内部ネットワークに侵入し、マルウェアを潜伏させる「環境構築(Preparation of the Environment)」を行っていることが、近年の調査で明らかになっています 3。

従来のNISC(内閣サイバーセキュリティセンター)体制下では、こうした脅威に対して各省庁や民間事業者が個別に対応しており、国全体としての状況把握(Situational Awareness)が欠如していました。NISCはあくまで「調整機関」であり、法的強制力を持たない推奨やガイドラインの策定に留まっていたため、省庁の縦割り行政(Stove-piping)を打破し、迅速な対応を指揮することが構造的に不可能でした 1。2024年までに頻発した政府機関や防衛産業へのサイバー侵害は、この「調整型」モデルの完全な敗北を意味していました。

1.1.2 ハイブリッド戦の教訓:ウクライナ侵攻の衝撃

2022年のロシアによるウクライナ侵攻は、日本の政策決定者に決定的な衝撃を与えました。物理的な侵攻(キネティック攻撃)に先立ち、または並行して行われた「Viasat」衛星通信網への破壊工作や、電力網へのサイバー攻撃は、サイバー空間が陸・海・空・宇宙に続く「第5の戦場」であることを現実のものとして証明しました 1。日本政府は、台湾有事などの有事シナリオにおいて、日本に対しても同様の、あるいはそれ以上の規模でのサイバー攻撃が第一撃として行われる可能性が高いと分析しました。この認識が、2022年末の「国家安全保障戦略」改定、そして2025年の「サイバーセキュリティ戦略」閣議決定へとつながる一連の改革の原動力となりました 1。

1.2 「能動的サイバー防御」へのパラダイムシフト

2025年12月23日に閣議決定された新たな「サイバーセキュリティ戦略」は、日本の防衛ドクトリンにおける歴史的な転換点です 1。ここでは、従来の「専守防衛」の概念をサイバー空間において再解釈し、攻撃が発生してから対処するのではなく、攻撃の着手を未然に防ぐ、あるいは攻撃の被害が拡大する前に相手方のシステムを無力化する「能動的サイバー防御(ACD)」が中核に据えられました。

このシフトは単なる技術的な対策の強化ではなく、法制度、組織論、そして憲法解釈の変更を伴う国家機能の再構築を意味します。日本政府は、サイバー攻撃の兆候を早期に検知するための通信情報の監視、官民の情報共有の義務化、そして必要に応じた攻撃元への対抗措置(いわゆるハッキングバックを含む無力化措置)を可能にする法的枠組みを整備しました。これらは、平時と有事の境界が曖昧なグレーゾーン事態において、国家が主権を守るための必要最小限の実力行使として正当化されています 5。


第2部:国家サイバー統括室(NCO)の組織構造と権限

かつて「サイバー庁」という名称で検討されていた組織は、最終的に「国家サイバー統括室(National Cyber Office: NCO)」として内閣官房に設置されました 7。名称こそ「庁」ではなく「室」となりましたが、その権限は従来の「庁」を超える強力なものです。これは、特定の省(例えばデジタル庁や総務省)の外局として設置するよりも、内閣総理大臣の直轄組織とすることで、全省庁に対する指揮命令権を確保するためです。

2.1 組織設計と指揮命令系統

NCOは、2025年7月1日に正式に発足しました 8。旧NISCが各省庁からの出向者の寄せ集めであり、出身官庁の利害に縛られがちであった反省を踏まえ、NCOはプロパー職員の採用拡大と、警察庁および自衛隊からの専従要員の配置により、組織としての一体性を高めています。

2.1.1 リーダーシップ構造

NCOの指揮系統は極めてフラットかつ強力に設計されています。

  • 本部長(Commander-in-Chief): 内閣総理大臣。名実ともに国家の最高指揮官がトップに立ちます 9。
  • 副本部長(Deputy Commander): サイバーセキュリティ担当大臣。内閣官房長官または特命担当大臣が務め、政治的な調整を行います。
  • 統括官(Director of NCO): 事務方のトップ。従来は各省庁の事務次官級が持ち回りで務める傾向がありましたが、NCOではサイバーセキュリティまたはインテリジェンスの専門的知見を持つ特別職(国家安全保障局長と同等)が任命されるケースが想定されており、技術的・実務的な指揮を執ります。
2.1.2 内部部局と機能分化

NCOの内部組織は、機能別に高度に専門化されています 10。

  • 情報集約・分析グループ(Intelligence Fusion Center): 官民から吸い上げた脅威情報を一元的に分析し、総理大臣およびNSC(国家安全保障会議)へ報告するコモン・オペレーティング・ピクチャー(COP)を作成します。
  • 重要インフラ防護グループ(Critical Infrastructure Protection): 電力、通信、金融など14分野(法改正により拡大)の重要インフラ事業者に対する監査、指導、インシデント対応支援を行います。
  • 能動的防御運用グループ(Active Defense Operations): 本報告書の核心である能動的サイバー防御の実施計画を策定し、警察庁および自衛隊への措置命令案を作成します。
  • 国際連携・戦略グループ(International Strategy): 米国のCISA/CyberCom、英国のNCSC、豪州のASDなどとのリエゾン機能を果たし、共同対処や情報共有の調整を行います。

2.2 NCOに付与された新たな法的権限

NCOの最大の特徴は、「調整(Coordination)」から「指揮(Command)」への移行です。これを裏付けるのが、「サイバー対応能力強化法」および改正「サイバーセキュリティ基本法」です 7。

機能 旧 NISC (~2025) 新 NCO (2025~)
位置づけ 内閣官房の調整機関 内閣直轄の司令塔組織
対省庁権限 資料提出「求め」、勧告 監査権、是正命令権
民間対応 任意の情報共有パートナーシップ 法的義務に基づく報告徴収、立入検査
情報収集 政府機関のログ分析のみ 通信事業者のメタデータ監視、海外通信の解析
対処能力 なし(助言のみ) 無害化措置(攻撃無力化)の承認・指揮
2.2.1 監査・是正命令権

NCOは、各省庁および指定された独立行政法人、特殊法人に対し、サイバーセキュリティ対策の実施状況を監査する権限を持ちます。不備が発見された場合、従来の「勧告」よりも強力な「是正命令」を発出でき、従わない場合は担当者の処分を求めることも可能です 11。

2.2.2 民間重要インフラへの介入権

従来、民間企業への介入は経済産業省や総務省といった所管官庁を通じて行われていましたが、NCOは緊急時において、重要インフラ事業者に対し直接的な報告徴収や、被害拡大防止のための措置(ネットワーク遮断等)を要請・指示する権限を有します。これは「特定社会基盤事業者」として指定された企業に対し、法的義務を課すものです 12。

2.3 警察・自衛隊との役割分担と統合運用

NCO自体は実力組織(部隊)を持たず、実際の対処行動(オペレーション)は警察庁と自衛隊が実施します。NCOはこれらを統合指揮する「頭脳」の役割を果たします 13。

  • 警察庁(サイバー警察局・サイバー特別捜査隊): 平時からグレーゾーン事態における主たる対処主体です。犯罪捜査の枠組みを超え、国家支援型ハッカー(APT)の特定(アトリビューション)や、攻撃インフラ(C2サーバー)の無力化を担当します。2025年の法改正により、捜査権限が大幅に拡大され、未然防止のためのサーバー侵入(捜査手法としてのハッキング)が可能となりました。
  • 自衛隊(サイバー防衛隊): 武力攻撃事態またはそれに準じる事態において出動します。相手国の軍事システムに対する反撃能力(Counter-Strike)を行使する権限を持ちます。NCOの設立により、平時の警察活動から有事の自衛隊活動への移行(シームレスな連携)が、NCOの指揮下でスムーズに行われる体制が構築されました 5。

第3部:能動的サイバー防御(ACD)の運用詳細

「能動的サイバー防御(ACD)」は、2025年体制の核心となるドクトリンです。これは、攻撃を受けてから対処するのではなく、攻撃の着手を察知した段階、あるいは攻撃が行われている最中に、その攻撃源を技術的に無力化することを指します。この権限の行使には、憲法上の権利との整合性を図るための精緻な法的ロジックが構築されました。

3.1 ACDを構成する3つの柱

日本版ACDは、以下の3つの柱によって構成されています 1。

3.1.1 第1の柱:通信情報の常時監視と分析

ACDの前提となるのは、攻撃の予兆検知です。これには、国内の通信事業者が扱う膨大なトラフィックの中から、攻撃に関連する通信を特定する必要があります。

  • 実施内容: 政府(NCOおよび委託を受けた機関)は、通信事業者のシステムを通じて、日本国内を経由する海外関連通信(クロスボーダー通信)のメタデータ、および特定の条件下でのパケットコンテンツを監視・分析します 14。
  • 目的: 攻撃者が日本の重要インフラ内に設置したバックドアやマルウェアに対し、海外の指令サーバー(C2サーバー)から送られる指令信号(ビーコン)を検知するためです。
  • 法的根拠: 憲法第21条「通信の秘密」との兼ね合いが最大の論点でしたが、政府は「公共の福祉」による制約として、特定通信の監視を正当化しました。ただし、対象は「外国のサーバー等に関連する通信」に限定され、純粋な国内通信の監視は原則除外される建付けとなっています 15。
3.1.2 第2の柱:攻撃の無害化措置(いわゆるハッキングバック)

攻撃の予兆を検知した場合、または攻撃が進行中の場合、その攻撃を停止させるための積極的な措置が講じられます。

  • 実施内容: 警察庁または自衛隊の専門部隊が、攻撃者の使用するC2サーバーや、乗っ取られた踏み台サーバー(ボットネット)にアクセスし、マルウェアの削除、通信の遮断、機能停止プログラムの実行などを行います 1。
  • 法的整理: 刑法上の「不正指令電磁的記録供用罪」などに該当する行為を、国が適法に行うための違法性阻却事由(正当業務行為)が法律で明記されました。これにより、従来は「手出し不可能」であった海外の攻撃インフラに対しても、技術的な介入が可能となります。
  • 制約: この措置は「他に手段がない場合(補充性)」かつ「必要最小限(相当性)」に限定され、相手国の重要インフラを破壊するような過度な報復措置は含まれません。あくまで「防御的措置としての攻撃」です。
3.1.3 第3の柱:官民の情報共有義務化

政府だけではサイバー空間の全貌を把握できないため、重要インフラ事業者からの情報提供が義務化されました。

  • 対象: 電力、ガス、水道、通信、金融、鉄道、航空、医療、政府サービスなど、国民生活に不可欠なサービスを提供する「特定社会基盤事業者」 12。
  • 義務内容: 重大なサイバーインシデント、またはその予兆を検知した際のNCOへの報告が法的義務となりました。違反した場合には罰則(過料等)も規定されています。
  • JC-STAR制度: また、IoT機器などの製品セキュリティ要件を満たしているかを評価・認証する「JC-STAR」制度が導入され、重要インフラ事業者はこの認証を受けた機器の調達が推奨(事実上の義務化)されています 1。

3.2 憲法論争と市民社会の懸念

このACDの導入に対し、日本弁護士連合会(日弁連)や市民団体からは強い反対意見が表明されています 16。

  • 通信の秘密の侵害: 日弁連は、通信の監視が「検閲」に近い効果を持ち、国民のプライバシーを著しく侵害する恐れがあると指摘しています。特に、メタデータ(通信日時、宛先、発信元)の分析だけでも個人の思想信条や行動パターンが推測可能であるため、監視の範囲がなし崩し的に拡大することへの懸念が示されています 19。
  • 濫用の危険性: 「攻撃の予兆」という定義が曖昧であり、政府にとって不都合な市民活動やジャーナリズムへの監視に悪用されるリスク(デュアルユース)が指摘されています。
  • 実効性の疑問: 通信の暗号化(TLS 1.3やQUICなど)が進む中で、パケットの中身を見ずにメタデータだけで高度な検知が可能かという技術的な疑問も呈されています。

政府はこれに対し、独立した第三者機関による監視体制の構築や、収集データの厳格な管理規定を設けることで理解を求めていますが、運用開始後もこの緊張関係は継続すると予想されます。


第4部:情報機関改革と「国家情報局」構想

サイバー防衛と不可分なのが、インテリジェンス(諜報)機能の強化です。サイバー攻撃の「アトリビューション(犯人の特定)」には、デジタルフォレンジックだけでなく、ヒューミント(人的諜報)やシギント(通信傍受)を組み合わせた総合的な分析が必要不可欠です。

4.1 現状の課題:縦割り諜報コミュニティ

日本の情報コミュニティ(IC)は、歴史的に分散型でした。

  • 内閣情報調査室(CIRO): 総理官邸の直轄組織だが、独自の情報収集能力は限定的で、各省庁からの情報の「取りまとめ」が主務。
  • 警察庁警備局(公安): 国内の防諜・対テロに強みを持つが、対外諜報は行わない。
  • 外務省国際情報統括官組織: 外交官による公然情報の収集・分析が中心。
  • 防衛省情報本部(DIH): 電波傍受(シギント)に強みを持つが、軍事情報に特化。
  • 公安調査庁(PSIA): 破壊活動防止法に基づく調査を行うが、捜査権限を持たない。

これらの組織間では情報共有の壁(Need to Knowの壁、省益の壁)が存在し、例えば警察が入手したサイバー攻撃者の情報を、防衛省が即座に共有されず、対応が遅れるといった弊害がありました。

4.2 「国家情報局」への改組計画

2025年後半の政権(高市早苗政権を想定した記述が見られる資料あり 20)における連立合意等において、CIROを解体・再編し、米国のCIAや英国のMI6に匹敵する「国家情報局(National Intelligence Agency: NIA)」を創設する構想が具体化しています 22。

4.2.1 改革の骨子
  • 内閣情報官の格上げ: 現在の内閣情報官(事務次官級)を、「国家情報局長官(Director of National Intelligence)」として閣僚級またはそれに準ずる地位に格上げし、各省庁の情報機関に対する予算配分権や人事権の一部を持たせることで、実質的な統合運用(Jointness)を実現します 22。
  • オールソース分析の確立: ヒューミント、シギント、サイバー、オシント(公開情報)など、異なるソースからの情報を一箇所に集約し、総合的に分析する「国家情報評議会(National Intelligence Council)」を設置します。
  • 対外諜報機関の創設ロードマップ: 2027年度を目処に、対外的な人的諜報(HUMINT)を専門に行う機関(いわゆる日本版CIAの実行部隊)の創設が検討されています 22。これは、サイバー攻撃の背後関係を現地の協力者(エージェント)を通じて特定するために不可欠とされています。

4.3 経済安全保障とセキュリティ・クリアランス

この情報機関改革の最大のドライバーとなっているのが「経済安全保障」です。

4.3.1 セキュリティ・クリアランス(適性評価)制度の完全実施

2024年に成立した「重要経済安保情報の保護及び活用に関する法律」に基づき、2025年からセキュリティ・クリアランス制度(適性評価)が本格運用されています 23。

  • 制度の概要: 政府が保有する機密情報(CI)にアクセスする必要がある公務員および民間企業の従業員に対し、身辺調査(犯罪歴、薬物使用歴、借金状況、海外渡航歴、家族関係など)を行い、適格性を認定する制度です。
  • サイバー防衛との関連: NCOが検知した高度な脅威情報を民間インフラ事業者と共有するためには、受け手側の民間技術者がクリアランスを持っていることが必須となります。これにより、従来は共有できなかった「トップシークレット級」の脅威インテリジェンス(例えば、攻撃者の具体的なIPアドレスやマルウェアのソースコード解析結果など)を官民で共有することが可能になりました 14。
  • 国際的信頼: この制度の導入は、日本がファイブ・アイズ(米英加豪NZ)などの同盟国と機密情報を共有するための「入場券」であり、日本のサイバー防衛能力を底上げする制度的基盤となっています 24。

第5部:国際比較分析:世界標準とのギャップと収束

日本のNCOおよびACD体制は、諸外国のモデルを参考にしつつも、日本の法的制約に合わせた独自の進化を遂げています。主要国との比較を通じてその特徴を浮き彫りにします。

5.1 対米国(CISA/CyberCom)比較

米国では、国土安全保障省傘下の**CISA(サイバーセキュリティ・インフラストラクチャ・セキュリティ庁)が民間防御・調整を担い、国防総省傘下のUSCYBERCOM(サイバー軍)およびNSA(国家安全保障局)**が攻撃・諜報を担当するという明確な役割分担があります。

  • 日本の独自性: 日本のNCOは、CISAの調整機能と、CyberComのような攻撃的措置(の指揮権限)を一つの組織(内閣官房)に統合しようとしています。これは、省庁間の壁が厚い日本において、分業よりも集中の方が機能しやすいという判断によるものです 26。
  • 能力差: 米国は「Persistent Engagement(常続的関与)」や「Defend Forward(前方防衛)」というドクトリンの下、相手国ネットワーク内に常駐して脅威を狩り出す(Hunt Forward)作戦を展開しています。日本のACDは法的に「攻撃の予兆」がある場合に限定されており、米国ほど恒常的な侵入活動は認められていません 15。
  • インテリジェンス格差: 米国はNSAの圧倒的なグローバル監視網(海底ケーブル傍受や衛星傍受)を持っていますが、日本は国内通過通信の監視に限られており、独自の収集能力には依然として大きな開きがあります。

5.2 対英国(NCSC/GCHQ)比較

日本のNCOが最もモデルにしたのが英国の**NCSC(国家サイバーセキュリティセンター)**です。

  • モデルの類似性: 英国NCSCは情報機関(GCHQ)の一部でありながら、公然組織として民間支援を行います。日本も警察・自衛隊の情報をNCOに集約し、それを民間に還元するエコシステムを構築しようとしており、構造的に英国モデルに近づいています 14。
  • 攻撃部隊の統合: 英国は「国家サイバー軍(National Cyber Force: NCF)」として、軍と情報機関のハッカーを混成部隊化しています。日本も警察と自衛隊の連携を強化していますが、組織的な一体化(混成部隊の常設)までは至っておらず、NCOによる「統合指揮」という形をとっています 27。

5.3 ファイブ・アイズとの関係

日本は「ファイブ・アイズ」への加盟を長年模索してきました。

  • 障壁の除去: 従来、日本が加盟できない最大の理由は「セキュリティ・クリアランス制度の欠如」と「サイバー防御の脆弱性(情報漏洩リスク)」でした。今回のNCO創設とクリアランス制度導入は、これらの障壁を直接的に取り除くものです 24。
  • 現状の評価: 英国のIISS(国際戦略研究所)などの評価では、日本はかつてサイバー能力で「Tier 3(途上国レベル)」とされていましたが、2025年の改革により「Tier 2(主要国レベル)」への昇格が確実視されています 29。完全な「シックス・アイズ」には至らずとも、サイバー領域における「ファイブ・アイズ・プラス・ワン」としての地位を確立しつつあります。

第6部:社会的・経済的影響と今後の課題

NCOの創設とACDの導入は、日本の社会経済に深く、かつ不可逆的な変化をもたらします。

6.1 中小企業(SME)への「構造改革」的圧力

最も深刻な影響を受けるのは、大企業のサプライチェーンに組み込まれた中小企業です。

  • サプライチェーン防衛の義務化: 新戦略では「サプライチェーン全体での防御」が絶対条件とされました。トヨタや日立のようなティア1企業は、NCOの基準を満たすため、取引先の中小企業に対しても同等のセキュリティ対策(監査ログの保存、EDRの導入、有事の報告体制など)を要求するようになります(契約条項への明記) 1。
  • セキュリティ対策評価制度: 2026年度から本格運用されるこの制度により、企業のセキュリティレベルが可視化(スコアリング)されます。十分なスコアを持たない企業は、政府調達から排除されるだけでなく、民間取引からも排除されるリスク(Market Exclusion)に直面します 1。
  • セキュリティ・ディバイド(格差): 資金力と人材を持つ大企業と、それを持たない中小企業の間で「生存格差」が拡大します。政府は「DX with Cybersecurity」や「IT導入補助金」で支援を行っていますが、多くの中小企業にとってハードルは極めて高く、廃業やM&Aによる統合が加速する可能性があります。

6.2 「国産回帰」と経済安全保障市場

JC-STAR制度や経済安全保障推進法は、外国製(特に中国製)の機器やソフトウェアの使用を事実上制限する効果を持ちます。

  • 国内ベンダーへの追い風: NEC、富士通、日立などの国内ITベンダーや、セキュリティ・クリアランスに対応できる国産クラウド事業者にとっては、巨大な官需・民需が生まれる好機となります。
  • コスト増: 一方で、安価な海外製品を使えなくなることは、日本全体のDXコストを押し上げる要因ともなります。

6.3 プライバシーと監視社会化への懸念

前述の通り、通信監視の常態化は市民社会に心理的な萎縮効果(Chilling Effect)をもたらす可能性があります。

  • 監視の透明性: NCOの活動状況、特に「どの程度の通信が監視され、どのような成果があったか」という情報が、どの程度国民に開示されるかが、制度の信頼性を左右します。現時点では、安全保障上の秘密を理由に、詳細な開示は限定的になると予想されます 18。

6.4 人材不足というボトルネック

いかに立派な組織と法律を作っても、それを運用する人間がいなければ機能しません。

  • 人材獲得競争: NCOは高度な専門人材を求めていますが、民間企業の給与水準(外資系では年収数千万円クラス)には対抗できません。政府は「任期付採用」や「リボルビング・ドア(官民交流)」の活性化で対応しようとしていますが、絶対的な人材不足は解消されていません。
  • 育成の遅れ: 2025年戦略では教育機関との連携による人材育成も掲げられていますが、即戦力が育つには数年を要します。当面の間、NCOの能力は「人の質と量」によって制約を受けることになります 13。

結論

「国家サイバー統括室(NCO)」の創設と「能動的サイバー防御(ACD)」の導入は、日本の戦後安全保障政策における最大級の転換です。日本は、サイバー空間という「第5の戦場」において、長年の「専守防衛(受動的防御)」のくびきを解き、能動的な抑止力を持つ普通の国家へと脱皮しようとしています。

この改革は、増大する地政学的リスクから国民の生命と財産、そして経済基盤を守るために不可避な選択でした。しかし、その代償として、通信の秘密という市民的自由の一部制約や、中小企業への過酷な淘汰圧という痛みを伴います。

2026年以降、NCOが真に機能するかどうかは、法制度の枠組み以上に、以下の3点にかかっています。

  1. 実効性あるインテリジェンス能力の確立: 収集した膨大なデータから、真の脅威を見抜く分析能力を持てるか。
  2. 官民の信頼関係(Trust): 強権的な命令ではなく、共有された危機感に基づくパートナーシップを構築できるか。
  3. 国民的合意の維持: 監視権限の濫用を防ぎ、自由と安全のバランスを維持し続けられるか。

日本は今、デジタル時代の国家主権を確立するための壮大な社会実験の只中にあります。

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用語解説

  • NCO (National Cyber Office): 国家サイバー統括室。2025年に設置された日本のサイバーセキュリティ司令塔。
  • ACD (Active Cyber Defense): 能動的サイバー防御。攻撃の未然防止や無害化を含む積極的な防衛概念。
  • APT (Advanced Persistent Threat): 国家などが支援する高度で持続的なサイバー攻撃の脅威。
  • JC-STAR: 日本政府が導入したIoT製品等のセキュリティ適合性評価・ラベリング制度。
  • CIRO (Cabinet Intelligence and Research Office): 内閣情報調査室。
  • CISA: 米国サイバーセキュリティ・インフラストラクチャ・セキュリティ庁。
  • NCSC: 英国国家サイバーセキュリティセンター。

参考文献の扱いについて: 本文中の `` は、調査に使用されたソースIDを示しています。

引用文献
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  4. 【第1回】政府サイバーセキュリティ体制の軌跡 新組織「NCO」誕生の背景, 1月 13, 2026にアクセス、 https://www.netone.co.jp/media/detail/20251114-01/
  5. Cybersecurity Governance and Normative Frameworks: Non-Western Countries and International Organizations Perspectives, 1月 13, 2026にアクセス、 https://ccdcoe.org/uploads/2024/10/Cybersecurity-Governance-and-Normative-Frameworks_Non-Western-Countries-and-International-Organizations-Perspectives.pdf
  6. Japan's AI and Cyber Capability, 1月 13, 2026にアクセス、 https://www.ginc.org/japans-ai-and-cyber-capability/
  7. 能動的サイバー防御も、新組織「国家サイバー統括室」が閣議決定, 1月 13, 2026にアクセス、 https://cybersecurity-jp.com/news/110208
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  11. 国家サイバー統括室|内閣官房ホームページ, 1月 13, 2026にアクセス、 https://www.cas.go.jp/jp/gaiyou/jimu/nco.html
  12. Achieving Cross-Domain Security in New Frontiers through Active Cyber Defense | List of Articles | International Information Network Analysis | SPF, 1月 13, 2026にアクセス、 https://www.spf.org/iina/en/articles/osawa_05.html
  13. Japanese government adopts new cybersecurity strategy - The Japan Times, 1月 13, 2026にアクセス、 https://www.japantimes.co.jp/news/2025/12/23/japan/crime-legal/new-cybersecurity-strategy-police-sdf/
  14. Preparing for Active Cyber Defense (ACD), 1月 13, 2026にアクセス、 https://nihoncyberdefence.co.jp/en/preparing-for-active-cyber-defense-acd/
  15. Japan's new Active Cyber Defense Law: A Strategic Evolution in National Cybersecurity, 1月 13, 2026にアクセス、 https://www.centerforcybersecuritypolicy.org/insights-and-research/japans-new-active-cyber-defense-law-a-strategic-evolution-in-national-cybersecurity
  16. いわゆる能動的サイバー防御法案について慎重審議等を求める意見書 - 日本弁護士連合会, 1月 13, 2026にアクセス、 https://www.nichibenren.or.jp/document/opinion/year/2025/250417.html
  17. 能動的サイバー防御法案 は、ネット監視・サイバー先 制攻撃法案だ! - 京都弁護士会, 1月 13, 2026にアクセス、 https://www.kyotoben.or.jp/files/250412_%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%90%E3%83%BC%E9%98%B2%E5%BE%A1%E8%B3%87%E6%96%991.pdf
  18. 【声明】通信の秘密を侵害する能動的サイバー防御制度の導入に反対する声明, 1月 13, 2026にアクセス、 https://nohimituho.exblog.jp/34227610/
  19. いわゆる能動的サイバー防御法案について慎重審議等を求め る意見書 2025年(令和7年) - 日本弁護士連合会, 1月 13, 2026にアクセス、 https://www.nichibenren.or.jp/library/pdf/document/opinion/2025/250417.pdf
  20. Japan's Present and Future National Security Strategy: Five Key Challenges to Watch, 1月 13, 2026にアクセス、 https://www.csis.org/analysis/japans-present-and-future-national-security-strategy-five-key-challenges-watch
  21. Japan economic outlook, October 2025 - Deloitte, 1月 13, 2026にアクセス、 https://www.deloitte.com/us/en/insights/topics/economy/asia-pacific/japan-economic-outlook.html
  22. JIIA Strategic Comments (2025-14) Strengthening Intelligence as a Component of Japan's National Power | Research Findings, 1月 13, 2026にアクセス、 https://www.jiia.or.jp/eng/report/2025/11/2025-14.html
  23. 重要経済安保情報保護活用法 - 内閣府, 1月 13, 2026にアクセス、 https://www.cao.go.jp/keizai_anzen_hosho/hogokatsuyou/hogokatsuyou.html
  24. How Might Japan Join the Five Eyes? - CSIS, 1月 13, 2026にアクセス、 https://www.csis.org/analysis/how-might-japan-join-five-eyes
  25. Why Japan Seeks a Security Clearance System - Tokyo Review, 1月 13, 2026にアクセス、 https://www.tokyoreview.net/2023/03/why-japan-seeks-a-security-clearance-system/
  26. Prospects for U.S.-Japan Cyber Cooperation: Critical Infrastructure Protection and Joint Operations Perspectives - Institute for National Strategic Studies, 1月 13, 2026にアクセス、 https://inss.ndu.edu/Media/News/Article/2997363/prospects-for-us-japan-cyber-cooperation-critical-infrastructure-protection-and/
  27. Cyber Threats and NATO 2030: Horizon Scanning and Analysis, 1月 13, 2026にアクセス、 https://ccdcoe.org/uploads/2020/12/Cyber-Threats-and-NATO-2030_Horizon-Scanning-and-Analysis.pdf
  28. 2. United Kingdom - The International Institute for Strategic Studies, 1月 13, 2026にアクセス、 https://www.iiss.org/globalassets/media-library--content-migration/files/research-papers/cyber-power-report/cyber-capabilities-and-national-power--united-kingdom.pdf
  29. Is Japan Ready for the Growing Cyber Threat? | Nippon.com, 1月 13, 2026にアクセス、 https://www.nippon.com/en/in-depth/d00750/
  30. Norms in New Technological Domains: What's Next for Japan and the United States in Cyberspace - CSIS, 1月 13, 2026にアクセス、 https://www.csis.org/analysis/norms-new-technological-domains-whats-next-japan-and-united-states-cyberspace
  31. 国家サイバー統括室が発足:中小企業こそ「防衛の最前線」に立つ時代へ, 1月 13, 2026にアクセス、 https://www.gate02.ne.jp/lab/security-article/establishment-of-national-cybersecurity-office/

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